2011年3月3日木曜日

与那嶺要氏死去、85歳=首位打者3回、中日優勝監督―プロ野球

 プロ野球の巨人で首位打者を3回獲得するなど活躍し、中日監督としても巨人の10連覇を阻んでセ・リーグ優勝を果たした与那嶺要(よなみね・かなめ、本名ウォレス・カナメ・ヨナミネ)氏が2月28日午後9時45分(日本時間1日午後4時45分)、前立腺がんのため米ハワイ州ホノルルのシニアホームで死去した。85歳だった。葬儀は今週末にホノルルで行われる予定で、後日、東京でお別れの会を開く。喪主は長男ポール氏。
 米ハワイ州マウイ島出身の日系2世。アメリカンフットボールから野球に転向し、マイナーリーグを経て、1951年のシーズン途中に巨人へ外野手として入団。巧みな打撃と米国仕込みの果敢な走塁でファンを魅了した。
 2年目から6年連続打率3割以上をマーク。54年に3割6分1厘で首位打者となり、56、57年も首位打者。57年は最優秀選手(MVP)にも選ばれた。
 61年に中日へ移籍し、翌年引退した。通算1219試合で3割1分1厘、1337安打、82本塁打、482打点、163盗塁。
 「ウォーリー」の愛称で親しまれ、引退後は中日、東京(のちロッテ)などのコーチを経て72年から6年間中日監督。74年には巨人の10連覇を阻止し、20年ぶりのリーグ優勝に導いた。その後も巨人、南海などでコーチを歴任。88年まで38年間もユニホームを着続けた。94年野球殿堂入り。

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